●修学旅行と値切り○

修学旅行の行先と言えば、手前味噌だがやはり京都だ。とある年のデータでは、全国の中学校の7割が旅先に京都を選んだという。

さて、当の京都市民は修学旅行で何処に行くのか?私の場合、中学と高校は共にスキー研修という名目で長野の雪山に幽閉された。そこにはラブもロマンスもSFも一切なく、朝から晩まで愚直に滑り続けることが義務付けられる。あとに残るのは筋肉痛と肌の乾燥のみであった。

小学生のときの行先は広島だった。やはりこちらの方が思い出深い。
出発の数ヶ月前から平和教育を受け、みんなで必死になって折り鶴を作った。「流れ作業〜流れ作業〜み〜んなで流れ作業♪」なんて笑いながら分担作業で。子どもの感情なんてそんなもんだ。平和記念公園では柄にもなく前に出て喋る役割を買って出た。平和記念資料館の展示は直視出来なかった。今でも無理だと思う。

翌日からは宮島観光。厳島神社を総員で参拝した後は、班ごとに別れて散策をすることになっている。

ここで更に時が戻る。

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修学旅行に出発する前の5年1組の教室。修学旅行のしおりが配られる。先生が言う。

「お小遣いを持ってきてお父さんお母さんにお土産を買ってあげてね」

「そのとき、お店の人に『もっと安くして下さい』って言って値切ってみてください」

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で、時が進み宮島の土産屋。店番のおばちゃんに言う。

「このもみじ饅頭3つ買うから100円安くして下さい!!」
『えー、困るなあ〜、いいですよ〜』


…いや、この教育、なに??

教育の場で値切りを推奨するというところはさておくとしても、戦中戦後広島に生まれた人たちの苦労をさんざ聞いて、プリント読んで、ビデオ見て感想文書いて、それはもちろん、ぼくは可哀想だと思いました、なんだけども、その人たちの子孫かもしれない人が一生懸命やってる小さな土産屋で、一日いくらの儲けを掠め取り喜ぶ、いや、この教育、まじでなに?

Twitterで検索してみると同じ体験をしている人たちの書き込みが見つかる。まさに宮島で焼き栗を安く買ったみたいな話も出てくるので、修学旅行あるあるなのだろう。それにしても腑に落ちない。

京都人の傲慢さとかサイコ感みたいなものは児童と呼ばれる頃から時間をかけて丁寧に醸成されているのだ、という話。

我が伏見の名酒のように。

●詩○

・時がきて嚥下される俺の借り物全て
・どうせ生きるなら乱高下するザマを楽しまな入場料勿体あらへんで
・芋掘り大会 オーブンから漂うバターの香り “さつまいも” いまや幸福を象徴する パラダイモシフト