小学5年生のころ仲の良かった友達ふたりを昆虫採集に誘った。ちょっとだけ虫が好きだった。

わたしが育ったのは京都の雑多な住宅街、少なくとも校区内じゃカブトやクワガタは獲れない。季節を問わず言えば、ゴマダラカミキリ・トノサマバッタ・オオカマキリあたりが身近なアイドル昆虫だったと思う。

さあ、放課後は宇治川の堤防にいこうぞ。

……ところがその日の窪田少年、友達を誘ったはいいものの、2時間後には虫なんてどうでもよくなった。

どうでもよくなったので別の友達とゲームする約束を取り付けて虫取りのふたりをフッた…ら!そのふたりから猛烈にハブられるようになって死んだ(生きてます)。

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当時は子供なりに思い悩んだものの、いま公平な目で見ると過失割合100:0で自分が悪い。世が世なら即投獄からの鞭打ちからの輪廻からのハエに転生ものだろう。おまえが虫になるんかいっちゅうね。

なんなら虫取りに誘った友達に断りを入れる前に別の友達に声をかけている。悪辣だ。

して。身近な人間からよく言われることには、人を人と思えないらしい私は(ここ得意の中二要素)、こういう経験を幼いうちにしておかなければ、いまほど社会に適応できてなかっただろう。

もしあそこで見逃されてたら、許されていたら、いま、もっと人を雑に扱うようになっていたに違いない。

人に親切にしましょうというような道徳文句にはまったく心打たれずとも、人に親切にしなければ不利益を被るということを実地で習えば……特に痛みを持ってそれを叩き込まれれば、どんなアホでもさすがに学習する。

人の感情を尊重できない性質の人間も、そろばん叩く能力さえしっかりしていれば損得勘定で親切を学んでいく。

そのほうが得するからさあ!

有り体に言えば、人間社会のいろはを記した教科書としての他人の存在に感心感激をしている。振り返るとあれは大きかった。なきゃだめだった。

他人……尊敬できる人、理解できない人、やな人、うざい人、クレーマー、一方的に劣等感を抱いてしまう人、元カレ元カノ、芸能人、総理、キリスト、あなたにとってのわたし、アニメの登場人物、あるいは全ての事物、ぜんぶ、ぜんぶが、あなたがより良く生きる術を学ぶための教科書に過ぎないと考えれば、心が楽になる部分があるのではないでしょうか。

……そんなことないですか?

やっぱりない?

それでもない?

うーん、ありがとう!

NOと言った瞬間、あなたは僕の教科書になりました。まさしく、違う考えのやつもおるということの学びですな……はっはっは!!!!