自分は大きい音が好きじゃないので、他人もそうだろうと思って、ボソボソ喋る。
会話に時間をかけたくないので、他人もそうだろうと思って、早口で喋る。
言葉を省略するほうが美しいと思っているので、他人もそうだと思ってできる限り省略して話す。
結果、ハード面ソフト面で発語に問題があるので喋った言葉をめちゃくちゃ聞き返される。
「ん?」とか「え?」とか言われがち。
そしてオレはムッとする。
(別にでかい声だそおもたら出せんねんけどお前の為に小さな声だしとんやないけ、なにが「え?」じゃ言い方あるやろ)
とか普通に思う。
で、普通に思ってきたけど、これは因縁に近いということが分かってきました。
「自分がされて嬉しいことを人にしてあげましょう」
こりゃウソだね。
まず自分と他人の感覚が違うということを念頭におくべきです。
それでいうと、大多数の人は別に音がそこまで苦手でもなさそうですよ。
「親切でぼそぼそ喋ってる」
こんな論理が当たり前に理解されると思ってるなら狂人です。
いちいち、一人一人に声量こんなもんですけど大丈夫ですか?
と確認できないんだから多数っぽい方に合わせた方がいい。声でかく生きろ。
あと言葉の省略、言外の意味の理解の強要ね。
「あそこにゴミ落ちてましたよ(私は動けないので今すぐ拾ってきてください)」
みたいな。この例は簡単すぎますけども。
これはねー、京都出身というのもまずマズくてですね。
ほら今だって「京都出身というのもマズくて」ですべてが伝わると思ってますよ。
京都というところは
「ピアノ上手にならはったなぁ(あなたの家から音が漏れててうるさいですよ)」
みたいなところまでは流石にいかないですけど、
伏見区というガラの悪い土地の最低時給で働く牛丼屋とかゲームセンターとかですら、ハッキリした言葉を使わず指示をするということは普通にありましたし、みんなそれに順応できてました。
ハッキリものを言うときって、もうよっぽど相手を理解力が低い人間と思ってるか、嫌味のときくらいなんですよ(個人の感想です)
その感覚で他の土地にいくともう言葉が通じないことが多いんです。
困ったことに、通じる人もまったくいないわけじゃないから、調整が難しい。
これも明後日の方向の親切の話ですよ。
「一から十まで説明するとオマエをバカだと思ってるみたいだから、敬意を持って言葉を限界ギリギリまで省略して話しますね」
まあ〜これも伝わらんでしょうな。
自分にやられたら結構嬉しいんですよね。最低限の言葉での指示とかって。
直感で分かんなくても、いろいろ推理して、ああ〜アレの話ですね!わかりました!動きます!みたいなね。
この件に関しても
「1から10まで説明しくさりやがって、俺をアホやと思ってんのか?」
と受け取る人格のほうに問題がある(マイノリティでもある)ので、1から10までちゃんとみんなに説明したほうがいいですね。
そもそも他人を「他人」と一括りにしないのも大前提ですよ。エネルギー使うことになるけども。
みんな生きとし生けるものなのですからね。
…
……
だいぶ生きるの上手くなってきたピョ〜〜〜ン!!
ぴょーーーーーーーーん
よかったね。