文章を書くのは楽しい。僕は自分の気持ちを社会の中で表現することが苦手なので、へべれけになって思いの丈を書き殴るのがいいストレス発散になる。…情けないなこの話。

しかし!ぼくが率直な気持ちで文章を書くと呪いの手紙か説教のような怨念のこもったものになることが多い。そしてそれを良しとする強さもないのである。書いては消し書いては消しの毎日。

そんな最中、友人から「たまにはブログを更新してほしい」とのメッセージ。本当はそうしたいよ。しゃあおまへん、没にしたブログ記事群から使えそうな部分だけ引っ張ってきてまとめよう。それを「ぶつ切りモザイク日記」と呼ぶ。

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ぼくは定型の笑いがとにかく嫌いで、苦手で、その嫌悪反応はアレルギーといっても差し支えなく、たとえ目の前でテレビタレントがよくやるノリが始まっても完全に無視することに決めている。

ある種の関西人にとって、お笑いというものは神聖なものなんです。雑に消費していいものじゃないんです。


小学校生活で一番嬉しかったことは、匿名の異性から「地味におもろい」という評価を受けたことで、今でも誇りに思っている。


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大根キムチにマヨネーズかけて白米をかきこむ。辛さが足りないのでデスソースをかけることにした。ビンの蓋を開けると「プシュッ」という音。発酵しているのだろうか。冷蔵庫に入れたほうがいいと思う。思っただけで卓上に放置。こんなもんで死ぬかいや。


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笑いというものは他人を屈服させるための武器だ。テレビで芸人がやってるノリを私たちもやろうよ、なんてのはコミュニケーションではあるかもしれないが、それは闘争ではない。

ぼくはコミュニケーションがよくわからない。でも闘いの価値はわかる。


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コイツの存在が平凡な僕の感性と目を鍛えてくれているような気がしないでもない。むろん僕なしにこの悪魔も存在しようがないので、共依存もいいところだ。


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ヤマナシ

イミナシ

オチナシ


やかましい。


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「では実際の話として


Q:『5+3の答えってなんでしたっけ』
A:『5の次の数は6ですよ』


こういうトンチンカンな答えにはどう否定せず返すんですか?ぼくは8って言って欲しいだけなのですが」

「『そうですか。それで、5+3の答えは8で合ってますよね?』でいいんですよ」

「その発想はありませんでした。5+3の答え聞いて、5の次の数は6、そうですか、って会話になってますか?」


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その時のことを考えて思い起こされるのは、酔っ払ってパンダ型のライド遊具に乗り激しく揺れるサークル同期のことであり、浄水場で配られていた「京都の水道水おいしい!大好き!」と書かれたステッカーのことである。


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これTwitterと何が違うのだろう。