
ぼくの前の職場の理事長が元・冒険家だった。元冒険家。なんと勇壮な響きだろう。そんな人の下で働くのはスリルがあったし、飲みの場で昔話を聞かせてもらうのが好きだった。なにせ軍医やグリズリーなんてものが登場するのだ。
元冒険家との出会い
大学卒業後、京都から宮崎県に移住することに決めた僕が最初にぶち当たった壁が「仕事の無さ」だった。辛うじて募集が出ていたのは林業かシイタケ農家だけで、もうまるっきり興味がない。こりゃイカンと思って移住者向けのHPで見つけたのが採用されることになる五ヶ瀬自然学校だった。

事務所の壁には様々な表彰状が並ぶ
五ヶ瀬自然学校とは、東京でグラフィックデザインの仕事をする傍ら国内外を冒険していた経験を持つ杉田英治さん(現・55歳)が立ち上げたNPO法人。同法人は宮崎県の奥地で活動しており、業務内容は子どもキャンプの主催、農産物のブランド化、ゲストハウス運営、カヌーツアーガイドなど多岐にわたる。
杉田さんはよく言っていた。
「前人未踏の地に第一歩を踏み残すのが冒険家だが、縁も職も無い田舎に移住してイチから生活基盤を切り拓いていくのもひとつの冒険だ」
なるほど、流れる川の中に仁王立ちして居眠りする胆力を持つ人間の言うことは違う。僕はもっぱら事務仕事に従事するばかりだったが、都市圏で生きてきた自分にとっては刺激的な毎日で楽しかった。

理事長(左)とぼく(右)、玉ねぎ畑にて
さて、ここからは杉田さんに冒険をしていた頃の話を聞いていこう。久しぶりに連絡を取ったらこころよく時間を作ってくれた。今日はシラフでしっぽりとインタビューだ。
冒険心の芽生えについて

──本日はありがとうございます。はじめに聞いておきたいのですが、「冒険」というものが流行ってた時期があるんですか?
杉田:俺らの上の世代には植村直己さん(※)っていう凄い冒険家がいて、その人の本を読んだりしてすげぇなって思ってたんだよ。テレビでは冒険をテーマにした番組がやってたし、俺が10代後半の頃はちょっとした冒険ブームがあった。
※冒険家、世界初の五大陸最高峰到達者
──冒険への憧れはいつ頃からあったんですか?
杉田:高3の夏休みに原付バイクで東北を一周しようって計画を立てて友達と決行。一泊3,000円のユースホステルを渡り歩きながらの旅だった。その辺りから冒険的なものが行動の中に入ってくるんだよね。
──なるほど。バイクに乗りたかったのか、知らない土地に行きたいのか、どちらが目的でした?
杉田:手段としてバイクがあっただけで目的は旅だよね。もっと小さなとき自転車に乗ってた頃も、なんかわかんねーけど、国道4号線をあてもなく走って空が暗くなったら帰るみたいなことをしてた。
──ふらふら行っちゃうっていうのが人間の素地としてあったんですね
杉田:それこそバイクでは北海道から九州まで6往復くらいの距離を走ったんだけど、バイクって道路しか走んないんだよね。日本ってどこ走っても景色って変わんないのよ。パチンコ屋があってコンビニがあって、変化があるのは周りの車のナンバーだけ。これがカヌーになると話が違う。スタート地点までの険しい道のりとか、生えてる草が違うとか、そういうのが面白いと思って。
──それでカヌーや冒険に興味が出てきた、と
カヌー体験、ユーコン川への憧れ

専門学校を卒業した後はグラフィックデザイナーとして仕事を始めた杉田さん。東京で働く傍ら、カヌー愛好家の聖地とも言われるカナダ(アメリカ)のユーコン川への憧れを持ちはじめ、カヌーイスト野田知佑氏が企画したカヌー体験キャンプに参加する。
──野田さんの企画ではじめて本格的にカヌーを体験したということですが、学びはありましたか?
杉田:ユーコン川に行きたいって話を野田さんにしたときに言われたのが「技術的には難しい川じゃないから大丈夫だけど、独りで行くなら圧倒的な孤独に気をつけなければならない」ということだった。でも、俺の場合は小さい頃から一人で遊んでることも多かったんだよね。遊びを作って楽しめるっていうか。だから大丈夫だろうっていう気持ちがあった。
──孤独に耐えられる力はあるし、ユーコン川に挑戦する条件は整ってたんですね
杉田:当時はグラフィックデザインの仕事をしてたんだけど、コレっていう確たるものが自分の中にないのがコンプレックスで。そういう行き詰まりがあったのと、若いうちに身体を使って何かに挑戦したかった。それで全部リセットしてカナダに飛んだのが24歳のとき。
──すごい行動力です
杉田:もし大学出てたらあと2年遊べる期間があったわけだから、寄り道しても大丈夫よねって(笑)
カナダ、カヌー転覆で死にかける!!

──ワーキングホリデーを利用してカナダに飛んだんでしたよね
杉田:そう。カナダに移ってからは英語を覚えたりバイトでお金を貯めたり。準備が整ってきたから手始めに2週間だけカヌーをレンタルしてユーコン川を下ることにした。
──いよいよ念願のユーコン川ですね
杉田:バスで大移動して支流のテスリン川から本流に入って、そこからは楽しいばっかり。グレイリングっていう魚を釣って食べながら川を下っていって。ずーっと進むと最大の難所って言われてる早瀬があるんだけど、工夫して無事に乗り越えられた。
──そういう生活、あこがれます
杉田:そこから先、強い風が吹き始めてなかなか停泊できなくて、中洲のそばを通ってるときに現れた流木にぶつかってカヌーが転覆したのよ。9月半ば、それも北極圏の川だから冷たい。
──転覆!どうやって切り抜けたんですか?!
杉田:流されながらも必死に泳いで、次に見えた中洲の先端部分には山のように流木が溜まってた。それにケツからつっこんで水の中で揉まれて上下すら分からなくなって、明るい方に向かって必死で泳いでガバッと顔を出して、もうギリギリ。
──おお…ライフジャケットさまさまですね
杉田:そのまま流されて別の中洲にたどり着いたんだけど、寒さと疲れで足の感覚が無くなってるから立ててるかどうかもわからない。テントや財布なんかが全部入った防水バッグがぷかぷか流されていくのを眺めるしかなかった。
──ちなみに川幅はどれくらいあったんですか?
杉田:3kmくらいあったかな。
──3kmですか!?
杉田:うん。そのまま中洲にいたってテントも火をつける手段も無いし、カヌーもひっくり返ってるからここにいたら死ぬっていう感じがあって。
──まさに絶体絶命の状況ですね
杉田:かろうじてキャッシュカードはボディバッグに入れてたから無事だったけど、現金もないんだよね。でも助かんないといけないから、また川に入って岸まで泳いで、そっからは草むらの中。
──「助かんないといけないから」っていう言葉すごく好きです
杉田:裸足で道なき道を進むんだけど、グリズリーが怖いわけよ。寒いのもあるし全身を手でペチペチ叩いて音を出しながら歩いて。でも進んだ先で迷っちゃった。戻ろうにも道がわからなくて、川の流れの跡みたいなのを見つけてそれづたいに歩いていったら元の川にたどり着いた。川を横目に歩いてたら車道が出てきて、ヒッチハイクで近場の町に連れて行ってもらって結局は事なきを得た。
──流された荷物も奇跡的に戻ってきたんですよね。カナダはいいところ。
ネパールでの旅、軍医に命を救われる!

無事に予行練習の旅を終えた杉田さんは、バンクーバー→ホワイトホース間の2,700kmの道のりを自転車で走破し、主目的であったユーコン川での2,800kmもの川下りも達成。その後は東京に戻りフリーのデザイナーとして活動を始める。しかし探検への熱意は冷めることがなかった。
──ほかにも死にかけた体験ありませんでしたっけ
杉田:ランタン・リルンっていう高山植物が多く咲く山の話を聞いたことがあって、そこを登るためネパールに行ったときの話もあるね。少し話が変わるけど、カナダを自転車で走ってるときファイヤーウィードっていう野性的なアスパラみたいなのが自生しててそれを摘んで食べてたんだよね。魚は穫れるけど野菜は根菜類しかないから栄養不足を補うために。それでクセがついてたのよ。
──草を食べるクセが、ですか?(笑)
杉田:そう。カナダの温泉地でワラビみたいなのを見つけて食べたことがあったんで、ネパールでも同じようなシダ系の植物を見つけてラーメンに入れて煮て食ったのよ。それが毒草だった。
──毒草!?
杉田:食って1分もしないうちにドーン!てこみ上げてきて全部吐いて、次第に身体が焼けるように熱くなって、結構強い毒だったんだね、もうダメ。終いには震えが止まらなくなって、宿の人が近くに駐屯してた軍の医者を呼んでくれた。この辺は記憶が無いんだけど多分暴れたんだろうね、軍人に囲まれて押さえつけられて。どうにか落ち着いて宿に帰されたところから記憶がある。
──えらいことになってきました
杉田:寝かされた部屋には2つベッドがあって、誰もいないはずの隣のベッドをふと見たら神様が寝てるんだよ。干からびたような顔で目がギョロッとしてて、ガーッガーッて寝息立ててた。これはマズいなーと思って、一旦部屋の外に出て時間を潰してから戻ると、まだいるのよ。何をしてくるわけでもないんだけどね。でも気になるから宿の人に言って別の部屋に移ったら寝られた。しばらくして目が覚めて、前の部屋を覗いたらやっぱり神様がいる。15時間くらい幻覚を見てたかな。
──幻覚を…
杉田:次の日から山を登り始めたんだけど、今度は疲れないのよ全然。どれだけ歩いても疲れなかった。なにか毒の作用があったんだろうね。
自律神経危機一髪、日本にて

──ぼくが一緒に働いてたときも大変な時期ありましたね
杉田:忙し過ぎて毎日90分しか寝ずに働いてたら自律神経がおかしくなった。水とか経口補水液をひたすら飲んでたんだけど、自分の腹が減ってるのかどうかも分からなくなってきて。
──あの数週間は壮絶でした
杉田:そんな中、ふとトイレに小便しに行ったら思いがけず◯◯◯もいっしょに出た。そこからは誰にも気づかれないように、冒険家の真骨頂だよね、痕跡を残さずどうやって脱出するか考えて、なんとか別の場所のシャワー室に駆け込んで。
──真骨頂(笑)
杉田:その後は休むしかないから休むんだけど、一旦90分睡眠に慣れちゃうとなかなか元に戻れない。寝れずにEテレを見てたら「雨ニモマケズ」の朗読が流れて、バーっと涙が出てきて。泣くっていうのは寝るのと同じくらいリラックス効果があるらしいね。それで寝れるようになって復帰したという。
総括、生かされるということ

──数度死にかけた体験から、なにか思うことはありますか?
杉田:うーん、俺にはまだ役割があんだろうなっていうのは思うね。生かされてるっていうか、そういう感じ。冒険家の話をすると、挑み続けた結果亡くなっちゃう人も多いんだよね。
──そうですね
杉田:じゃあ冒険家は冒険をやり尽くしたあと何をするのかっていう問題があって。植村さんは北海道で自然学校を開こうとしたっていうのがある。野口健さんを凄いと思うんだけど、あの人はエベレストに捨てられた酸素ボンベのゴミを回収したり、戦没者の遺骨を回収したり、他の誰にもできないことをやってんだよね。
──孤独からはじまる冒険の行き着く先が、人のための社会貢献っていうのは興味深いですね
杉田:画家みたいに◯◯家ってつく人いるじゃん。冒険家もその一つで、画家は絵で表現するけど冒険家は身体で自分を表現する。冒険家の行き着く先は人、他の誰もできないところを埋めていくっていうか。それが冒険家の役割であり最終的な目標じゃないかと。
──ありがとうございました。
おわりに
他にも本当にグリズリーが出てきた話や、外国で勝手に弁当を作って売ってたら衛生局に注意された話など楽しいエピソードが山ほどあった。
すごいなと思うのは毒草の話で、これは初めから終わりまで一貫して常識の範疇を超えている。「野草を食うクセ」の時点で全く共感できないのに、毒にやられて、軍が出てきて、幻覚が見えて、翌日全く疲れなくなる。これが実体験なのだから痛快である。人間の大らかさや人生の楽しさみたいなものをそこに感じた。おもしろかった。
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