裕福な家の若い嫁であったキサーゴータミーは、 そのひとり子の男の子が、 幼くして死んだので、 気が狂い、 冷たい骸を抱いて巷に出、 子供の病を治す者はいないかと尋ね回った。
『仏教聖典』仏教伝道協会

これは最も古い経典のうちのひとつ『ダンマパダ』の注釈書に残されている説話の冒頭部分です。愛する子どもを失うというのはいつの世にあっても苦しいことですが、紀元前に実在したとされる仏陀が語った教えとはどのようなものだったのでしょうか。

釈尊は静かにその様子を見て、 「女よ、この子の病を治すには、芥子の実がいる。町に出て四・五粒もらってくるがよい。しかし、その芥子の実は、まだ一度も死者の出ない家からもらってこなければならない。 」と言われた。
『仏教聖典』仏教伝道協会

ケシと聞くとギョッとしますが、その実からは食用油を抽出することができるため当時のインドではごくごく一般的な食品とされていたそうです。今の日本でいうとお米ということになるでしょうか。町に出て米粒をわけてもらうことは簡単に思えますが、一度も死者を出したことのない家という条件が付けられます。

ちなみに釈尊というのは「釈迦牟尼世尊(釈迦族の聖者)」の略で、一般に言うお釈迦様やブッダのことです。ブッダというのは「目覚めた人」を指す一般名詞ですが、大抵は釈尊のことを指します。

狂った母は、町に出て芥子の実を求めた。芥子の実は得やすかったけれども、死人の出ない家は、どこにも求めることができなかった。ついに求める芥子の実を得ることができず仏のもとにもどった。かの女は釈尊の静かな姿に接し、初めて釈尊のことばの意味をさとり、夢から覚めたように気がつき、わが子の冷たい骸を墓所におき、釈尊のもとに帰ってきて弟子となった。
『仏教聖典』仏教伝道協会

死にものぐるいで町中を駆け巡ったことでしょう。先に述べた通り、芥子の実は一般的なものなのですぐに手に入ったそうです。しかし、死者を一度も出したことのない家はついぞ見つかりませんでした。落胆して釈尊のもとに帰ったとき、キサーゴータミーは釈尊の教えを理解します。

それは、人間は必ず死ぬということ。この道理はいかなる聖人でもひっくり返すことができないのです。釈尊の説話および原始の仏教は徹底的な合理性が特徴。死後の世界で子どもに会えるから頑張って生きようなんて言葉をかけないのです。「亡くなった子どもに会うことはできない。なぜならば人の死は必定だから」それが教えです。

四苦八苦という言葉がありますね。「」とは単純な苦しみではなく「思い通りにならないこと」とされていますが、その4つの苦とは生まれてくる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみのことを指します。このどれもが思い通りにならないことですね。

思い通りにならないことに悩むな、それがブッダの教えなのです。世の中は常ならず。まさか自分が癌になるわけない、まさか自分が会社をクビになるわけない、まさかまさか…。その「まさか」は次の瞬間に訪れるでしょう。自分の感情で世界が動けばどんなに楽しいことでしょうか。残念ながらどれだけ自分が悲しくても楽しくても世界はそれをものともせず回っていきます。まず、世の中は思い通りにならないということを知る。そこから歩を進めていきましょう。