M1審査員の一人、立川志らく師匠が自身のYouTube動画で金属バットについて「かなりねぇ…斬新というのかな」と発言。金属ファンは浮足立って動画のコメント欄はプチお祭り騒ぎ。

金属バットのネタに触れ、脱税や特攻隊など思想の強い責めたギャグに若い子がついてくるのは腕があるからだと評した。あの落語ネタの「3桁年前のネタでウケなあかん(から落語家はすごい)」にも同調。

金属バットはね、もっともっといかないと、さらにね、落語だけじゃなく講談だとかね浪花節だとか。全部を敵に回すくらいね、あと能、狂言とかね…(上記動画)

ただ、この発言は金属バット評としては少し的を外していないか。彼らはモラルとインモラルの境界線上で踊る遊び人であって、反権威のカリスマではない

微妙な差だが「権威ある落語を茶化す面白さ」と「落語を茶化すポーズを取る面白さ」は違っていて、金属バットは後者のスタイルを意識しているように見える。サブカルチャーに過ぎない文化に従事する芸人が体制側に挑戦する構図なんて捉え方を私はしない。一般的な若者に取って馴染みのない能や狂言をいじり出したら遊びの範疇を超えてしまう。

述べた通り金属バットの良さは遊びの姿勢なのだ。芸人でさえ行儀良さや常識良識が強く求められる狭苦しい日本の中で、M1の敗者復活という大舞台の締めにシャツをめくりあげヘソ丸出しの腹を叩き「ポ~ン♪ あ(ざ)っした~」と残し捌けていく姿はやっぱり面白い。間違ってもこんなコンビに本気の思想求めてる人なんていないよ。

それと、”もっともっといった”ネタでしっかり炎上を経験しているので、金属バットには正統派トンチキ不条理しゃべくり漫才で笑わせてほしいというのもある。人を傷つけない笑いなんて言葉は嫌いだけれど、差別と捉えられかねないネタはやっぱりだめだ。


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