紙を食べる子ども
小学校低学年の頃、よく教科書やノートの隅をちぎって食べていた。何ならそれに飽き足らず給食の牛乳についてくるストローのPP袋まで口にしていたが、隣のクラスの○○君が絵の具を食べ比べて「白が一番美味しい」と言っただの、カマキリを食べただの、釘を呑み込んだだの、種々の噂を耳にして我が身の凡庸さを思い知らされたものである。それは異食症?
そんな話を職場にて披露したところ若い子たちから一笑を得ることができ、少なくともひとつ意味はあったのだと嬉しく思ったが、調子付いて上司にも同エピソードを開陳したところ「それは異食症じゃない?」と今度は一蹴されてしまった。おもしろエピソードから「構ってちゃんの病気自慢」へと一瞬で落ちぶれたその様には無常を見るほかないのであるが、何にしたってその指摘はヤボじゃないか。
家は食うに困るほど貧乏じゃなかったし、これと言ったストレスも自覚の範囲では無かった。じゃあ何故紙を食べていたのかと問われると何も言葉が出てこないので、いま改めて紙を食べて考えてみようじゃないか。
紙食う男
むしゃむしゃとB5一枚完食するわけではない。角の方を少しちぎっていただきます。口にしてまず気がつくのは、乾燥している紙が唾液によってじわっと湿っていくさま。たまごボーロを舌で口蓋に押しつけたときのようで、ジュワっとした感覚が面白い。味は紙のものとしか言いようがなく、こんなんだったなと20年越しに思い出した。どの種類の紙も大抵同じ味がするんだ。あんまり美味いもんじゃないな。
意味はないが、紙食って何が悪い
それで何か分かったか?いや、何も分からなかった。理屈では掴むことのできない領域の問題なのかもしれないと直感的に感じる。そうだ、人間は説明と理屈が好きすぎる。紙を食べるのは異常行動だ?精神遅滞だ?一生言ってろ。本人の楽しいと思う遊び心をなぜ微塵も考慮に入れない。客観的に言葉で説明できることがこの世の全部か?いや、確かにそうだ。ルールや定義は本能の心地よさを無視する。「紙を食べるのが楽しい」と思うのが変で「奇声を上げながら竹の棒で相手の頭を叩くことが楽しい」と思うのが変じゃない理由を、既存の価値観を一切用いずに説明できますか。その二つの何が違うというのでしょう。
紙から始まって釘やら農薬やら食べ始めるから危険だというのはまた別の話です。あなた、それは人間という動物を舐め過ぎです。
幸い僕の紙食ブームは教師や親から咎められる前に飽きがきたので変な屈折を経験せずに卒業と相成った。大体、こんなことをいちいち叱責されてたらキリがないじゃないか。
僕は相当の人嫌いを自覚するが、それでもやはりルールより人間のほうが大切だ。さて、人間への愛をさんざ語るあなたはいかがお考えですか?
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