小学校3年だか4年だかのとき。

パソコンで自己紹介カードを作る授業があった。

簡単なテンプレートに名前や学年、趣味や得意科目などの情報を入力していくのだ。
文字の色や大きさを変えるようなこともした気がする。

初めて触るパソコン。マウスとキーボードの操作はぎこちなかったが、内心とても楽しんで取り組んでいた。

当時の教室には、担任の先生とクラスメイトのほかに大学生くらいの男女数人がいた。
あの人たちが誰で何をしにきていたのか記憶が定かではないが、たぶん教育実習生だったのだろう。

その若者のうちの一人の男が、僕のモニターを後ろから覗き込み、バカにしたような口調でこう言った。

「にぶた??何その食べ物?笑
すぶたじゃなくて??笑」


こいつのことは未だにゆるしていない。

僕はハッキリとした意思を持ち、好きな食べ物欄に「にぶた」と書いたのだ。

にぶたとは煮豚、その名の通り豚肉を煮たもののことで、ぼくが当時一番好きだった母親の手料理のことだ。

いま思えば子供の舌にはいささか渋い好みだが、誕生日などのイベント日にリクエストするほど好きだった。

たこ糸で縛ったブロック肉を少し甘めの醤油ベースの調味液で数時間煮込んで作る。手間がかかるから毎日毎週出せるようなものじゃない。

調理中は煮汁の香ばしい匂いが家中に充満していて、その匂いを嗅ぎながらできあがりを楽しみに待ったものだった。

そういう大切な情景を無知な他人が踏みにじってきた、と!

これはもう戦争ですよ。
少なくとも教育ではないですよ。

とはいえ当時は引っ込み思案で何も言い返せなかった。

「すぶた」と書き直して印刷したのちに、「ほんとは酢豚好きちゃうけど、文句言われたから!」とまわりに触れ回ったか、学生を無視して「にぶた」を残したか、どっちかだと思う。

性格の悪さは筋金入りだから前者じゃなかったかな。

ひとつ確実に言えること、あのときの僕は怒りを感じていた。

自分の世界を侵略せんとする敵に対して。

「その学生は単に煮豚を知らなかっただけで、馬鹿にする意図なんかなかったんじゃない?」

なんと言い訳しても構わないが、僕の法はあいつを裁けと言っている。

悪気がなければ殺しを肯定するのか?

これは侵略なのだ。

インヴェイダーズ・マスト・ダイ。

うっかり侵入を許したが最後、自分の心はたちまち乗っ取られてしまう。

「にぶたなんて食べ物はない」

降伏してはならない。

こんな馬鹿げた宣言を受諾してはならない。

万に一つ、にぶたなんて食べものが

世界のどの料理本にも載っておらず、

「にぶた 料理」とググっても0hit、

Yahoo!知恵袋で聞いても

「にぶたなんて食べ物はありませんよ」

そう同じように回答されたとしよう。

それでも、にぶたはあると信じなければならぬ。

それが人間として生きるということだ。

客観なんてものはウソだ。

人間風情が持ちうるものじゃない。

他人がなんだ。

科学的根拠がなんだ。

モラルや法律がなんだ。

自分の頭で考えて自分の法に則って行動しろ。

良くも悪くも他人なんてどうでもいいと思えるようになれ。

簡単に負けるな。

自分の意思を持て。

謝るな。

自分の感覚を信じろ。

煮豚の味は本物だったのだから。